↑↓ 松野氏の作品。航空学校霞ヶ浦分校のUH-1B/41584
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1980年代後半ともなると、H型も陸自航空に100機近くが配備され、B型もいよいよ終焉を迎える事になる。元々アメリカ陸軍が、多用途ヘリとしてシコルスキー社とベル社を競合させ、朝鮮戦争で活躍したベルH-13の実績を評価して、ベル社提案のベル204をHU-1として1959年6月から配備した事からヒューイの歴史が始まるが、陸自航空も富士重工(旧中島飛行機/現スバル)のライセンス生産で配備を開始したのが、1963年なのでアメリカ陸軍の配備に対しそう後れを取ってはいなかった。UH-1はイロコイスと言うアメリカン・インディアン部族のニックネームも持つが、陸自にいた私の父も含め一般的に”ヒューイ”(Huey)と呼ぶ人が多いのも、語源がこのヘリの型式が”HU-1”→HU-I”ヒューイ”に読めるからであった。米陸軍ではB型時代に対戦車ミサイルやロケット弾ポッドも含め多くの武装バージョンが生まれ、ロケット弾装備型を「フロッグ」「ホッグ」、ガン装備を「コブラ」「ガン」等を呼ばれたそうだ。UH-1Bの武装化は後のAH-1型攻撃ヘリに発展したが、陸自の場合、社会情勢からこの汎用ヘリの武装化には至らず、H型に更新が進む期間にはAH-1S導入を行い始めたので、汎用ヘリの武装化はH/J型に至ってもせいぜいドアガンをレンジで付ける程度だった。陸自でのB型は、最後のお勤めとして航空学校でのパイロット教育や方面隊でのメンテや技術教材として使われている。
↑ 1991年に立川基地航空祭で飛行した1機のUH-1B/41587
↑ 最後の3枚は松野氏の作品。東部方面ヘリコプター隊のUH-1B/41587
↑ 北宇都宮分屯地で見かけた東部方面ヘリコプター隊のUH-1B/41560。ページ-1の冒頭写真と同じ機体。
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↑ 宇都宮航空学校所属のUH-1B/41555は、第一混成団から移動してきた機体で、中央上部に救助用のホイストを付けている。奥の丸いドームは、ホイスト用ロープの巻き上げ収容部分になる。"SU"は、皆さんご存知の通り"School Utunomiya"を示す。此処でUH-1Bの実用操縦過程を終了した陸曹さんたちは各飛行隊に配属され、UH-1H等同列異機種の操縦訓練は各飛行隊で行っていたようだ。
↑ 1987年北宇都宮分屯地で展示されたのUH-1B/41571。
Wings
↑ 1989年の横田基地航空祭で見かけた恐らく飛行可能な数少ないUH-1Bの一つ。UH-1B/41584